100年後を考える

僕はPaul Graham厨と言われても仕方がないくらい、彼が好きで彼の書く文章からは学ぶことが多い。
Paul Grahamが以前書いた文章の"The Hardest Lessons for Startups to Learn"にこんなのがあった。

私は最近、ベンチャー起業家と話し、彼らのソフトにソーシャル・ネットワーキング的な要素を加えたらどうってと言った。彼はソーシャル・ネットワーキングは出尽くしたからダメだよと答えた。本当だろうか? 今後100年、ソーシャル・ネットワーキングのサイトはFacebook, MySpace, Flickr, and Del.icio.us しかないのだろうか? ありそうもない。


常に新しい物が出る余地がある。歴史上いつでも、最もさえない時代の最もさえない時期でさえ、人は「なぜもっと前に思いつかなかったのだろう?」とみんなが言うものを発見してきた。これは(厳密に言えば、他の人もそれを思いついていたが)Facebookが設立された2004年まで、依然として真実であり続けている。


身の回りのチャンスを見つけられないのは、物事をそれが当たり前で、それ以外にないと思ってしまうからだ。たとえばGoogleよりもいい検索エンジンを作ろうとしたら、ほとんどの人は正気でないと思うだろう。少なくともその領域に関しては、確かに開拓されつくしたように見える。本当? 100年後--ひょっとして20年後かも--の人々が、まだ現在のGoogleのようなサイトで情報検索をするだろうか? Googleでさえそう思ってない。
和訳はlionfanさんのhttp://d.hatena.ne.jp/lionfan/20070130より引用

実際GoogleエンジニアのDarickさん(Gmail初期開発者の一人)はSearchについても、つねに改良の余地(UIなど)はないか模索していると言っていた。

さらにPaul Grehamはこうも言っている。

製品に改良の余地がないように思えるなら、可能性は (a)改良の余地がない、もしくは (b)想像力がない、のどちらかだ。経験的には(b)のほうが1000倍ありそうだ。

同じくhttp://d.hatena.ne.jp/lionfan/20070130より引用

20年後、100年後はどうなっているんだろうと考えるとほとんどすべてのものに改良の余地があるように思えてくる。もちろん100年後の世界なんてインフラからして劇的に違うかもしれないので100年後に使われるほとんどのものは現時点では想像もつかないものかもしれないけど、それでも未来のことを考えてそれに向かって試行錯誤してみるというのは非常に意味のあることだと思う。MITメディアラボの石井教授を見ていてもそのような姿はかっこいい。

例えば、前回書いたように先日スキーへ行ったのだが、スキー場のどこにどんなコースがあるのかを把握するのは僕にとって難しかった。とくにリフトを乗り継いでこのコースに行きたいんだけど、ここからどのように行けばいいんだろう、今はどこにいるんだっけ?などと迷うことがあった。そのたびごとにスキー場の地図をポケットから出して確認するのは非常に面倒だったし、雨なんか降っていたらすぐに地図はびしょびしょになって使い物にならなくなってしまう。100年後にスキーヤーがいたとして、そんなことをするかといえばたぶんしないだろう。100年後にはゴーグルにスキー場ナビゲーターなるものが搭載されて、GPSによって位置情報を取得して自分の行きたいところに行くにはどうすればいいかなどナビゲートしてくれることだろう。もっともこのようなことが実現されるのに100年もかからないかもしれないが、100年後という遠い未来を考えることによって現在にとらわれずに想像を膨らますことができる。

「100年後」を考えるという視点は常にもっていたい。